あやや
これは私的意見だが、今、松浦亜弥は苦悩していると思う。
なぜか?
松浦亜弥は「あやや」と戦っている。
もう1人の自分と戦っているのだ。
松浦亜弥は「あやや」というニックネームで親しまれ、その完璧なアイドル性でファンを獲得してきた。
デビュー当時のインパクトは相当すごかったように記憶している。
彼女がデビューしたのは14歳の時。
当時はまだ右も左もわからず、たんたんと与えられた仕事とイメージをこなしてきた。
「あやや」というキャラクターを演じてきたのだ。
まあ当の本人も、最初は楽しんで「あやや」を演じていたのだろう。
「あやや」になれば多くの人が注目し、世の男共がひれ伏してきたのだから仕方がない。
俺もその1人だ。
でも人間は成長する。心も体も。
いつしか「あやや」は松浦亜弥にとって足枷になった。
これは彼女の普段の言動からも見て取れる。
あきらかに「あやや」から脱却しようともがいている。
現在行われているツアーでは、中盤にピアノやストリングスなどを導入してしっとりと歌う部分が設けられている。カラオケを流すのが通常となっているハローでは異例のことだ。
ちなみにこれは松浦亜弥本人が望んだことらしく、ずいぶんとお願いをして実現したらしい。
この時の彼女は、青いドレスに身を包み、イスに座ってゆっくりとかみ締めるように歌っている。
これが現在松浦亜弥本人が望む自分の姿なのだろう。
いや、言い方を変えれば、これを見せることによって「私はもう“あやや”じゃない」というのをアピールしたいのだ。
つまり、ドレスを着てピアノに合わせて歌いたかったわけではなく、目的は「あややじゃない」というところにあるわけだ。
それをわかりやすくファンに見せるには、このカタチが単純かつ明快だったのではないか?
この作戦は功を奏し、コンサートに「静と動」の絶妙なコントラストをもたらした。
前半はいつもどおりのノリノリカラオケコン。
中盤は客を座らせしっとりタイム。
後半は再びノリノリ。
非常にメリハリのきいたコンサートになっている。
亜弥ヲタには非常に好評だ。(『ヲタ』という言葉はキライだが、便宜上使うことにする)
だがここで問題が生じる。
「亜弥ヲタには好評」と書いたが、たしかにそれは本当だが、じつは最近松浦亜弥からヲタが離れていっている。
現在残っているのはディープな亜弥ヲタだけだ。
「あやや」が好きだった普通?の亜弥ヲタは確実に離れていっている。
松浦亜弥をここまでにしたのは「あやや」だ。
「あやや」なくしては松浦亜弥はここまで来れなかったはず。
だが本人は「あやや」から抜け出したい。
・・・大きな問題だ。
じっさい「あやや」という要素をずいぶん削ぎ落とした今回のツアーは、客の入りが非常に悪い。
まあ、ハロー全体の客入りも落ちてきているが、亜弥コンほどではないだろう。
今回のツアーで松浦亜弥は非常に楽しそうにステージをこなしている。
自分のやりたいことができている達成感や充実感があるからだろうが、じっさいはどう思っているのだろう。
ガラガラの客席を見て彼女は何を思っているのだろう。
せっかく“新しい自分”を披露しても、観にきてくれる人が少ないという現実。
CDも売れていないという現実。
今、松浦亜弥は必死で戦っている。それも自分との戦いだ。
厳しい現実を受け入れながら、変わろうと必死で戦っている。
俺はポジション的にはディープな亜弥ヲタです。
彼女の笑顔なしでは生きていけないレベルです。
ヲタだろうがファンだろうが、愛する松浦亜弥を支えていくためにこれからも頑張るつもりです。
彼女が望むのなら「あやや」に戻ってもいいし、別の松浦亜弥になってもかまわない。
みんなに愛される松浦亜弥であればそれでいい。
それにより彼女の笑顔がズーっと続くのであれば、それだけでじゅうぶんです。
それだけで「ありがとう」と言える。
俺は、亜弥ちゃんの笑顔が見たいだけなんだ。